ATJ岡山教室の教師イケダは2017年8月中旬から11月末の間、イギリス・オランダ・アメリカ・オーストラリアでF.M.アレクサンダーとアレクサンダーテクニークに関する歴史・実地調査をしてきました。
はじめに
ATJのトレーナーコースを修了し練習生を受け入れる前で時間があったこと、F.M.アレクサンダー(以下 FM)の伝記作家や研究者の高齢化が進んだこと、日本ではFMについての情報がほとんど入ってこないこと、話だけではなく他の土地でアレクサンダーテクニークを体験したいと思ったことなど、いくつかの理由が重なったことで旅立つことにしました。詳細を書くと長くなるので短く行程をまとめました。
イギリス(2017年8月17日~9月11日、2017年9月15日~10月1日)
ロンドンから西に約100キロほど行ったランズベリーという村に行きました。そこはFMの祖先がずっと暮らしていた土地で、教会にはアレクサンダー家の墓石があります。FMの祖父は暴動に参加してタスマニア島に送られました。
(アレクサンダー家の墓 - ランズベリー)
ロンドン市内にあるThe Constructive Teaching CenterのThe Walter Carrington Archivesでリトルスクール関連と「the Practitioners of the F.M. Alexander Technique Ltd. 対 The Use of the Slef Ltd.」の裁判資料を調べました。同じくロンドン市内Society of Teachers of the Alexander TechniqueでSTAT Archivesにある機関紙を閲覧しました。大英図書館でFMとエブリン=グローバーが共作した脚本を閲覧しました。Westminster City Archivesでは当時のアシュリー・プレイス街が写るポストカードや爆撃被害の地図を調査しました。
ロンドン市近郊ベクスリー区シドカップでペンヒルロードを散策しました。Bexley Archivesでペンヒル・ハウスについて調査しましたが、FMが購入してから売却までの時期の情報は残っていないようでした。FMが購入する以前のペンヒル・ハウスのカタログなど一部の史料は閲覧できました。
(ペンヒルロード - シドカップ)
オランダ(2017年9月11日~15日)
FMの著作とワークをテーマとした博士論文『Frederick Matthias Alexander 1869 - 1955』の著者ジェローン=スターリンさんに会いに行きました。FMとアレクサンダーテクニークに関する多数の資料と情報を提供していただきました。論文の反響は様々だったようですが、アレクサンダー教師で訪ねてきた人はいないということでした。
スターリンさんの論文の要約を翻訳しました。FMについて知りたい方は参考になると思います。 「フレデリック=マサイアス=アレクサンダー (1869 - 1955) アレクサンダーテクニークの起源と歴史」(要約) https://conscious-control.jp/document/1
アメリカ(2017年10月1日~27日)
ニューヨーク州ニューヨーク市The Dimon InstituteでFrank Pierce Jones Archivesの資料を閲覧しました。ジョーンズ博士がFMや第一世代の教師と交わした手紙やFMの弟A.R.アレクサンダーがロンドンへ引き揚げた後の様子を調べました。ちょっとだけチェアワークをエクスチェンジしました。
イリノイ州アーバナ市でFMがワークを発展させた道筋を追った『Alexander's Way』の著者アレクサンダー=マレーさんに会い、レッスンの受講と資料の紹介をしていただきました。同市のアーバナ大学図書館でジョン=デューイの書簡集を調べてきました。
ワシントン州シアトル市The Performance Schoolで教師養成コースの授業に参加しました。キャサリン=ケトリックさんとデヴィッド=ミルズさんに会いました。キャサリンさんはFMアレクサンダー著作集のスタディガイドを書かれています。授業のテーマは『The Universal Constant in Living』の「抑制」の章でした。
オーストラリア(2017年10月29日~11月14日、2017年11月29日~30日)
メルボルン市でFMと家族が過ごした家を訪ねました。FMが療養をしたジーロング市(メルボルン市から南西に約75キロ)を訪れました。FMがレッスンをおこなっていたベンディゴ市(メルボルン市から北西に約130キロ)を訪れました。
シドニー市でFMがスタジオを借りたビルをビル名から推測して探しました。同市ニューサウスウェールズ州立図書館でFMのロンドン行きの切っ掛けを作ったマッケイ医師について調べました。同市のAlexander Technique Instituteでダイアナ=デヴィットドーソンさんからレッスンを受けました。同スクールを卒業した教師とエクスチェンジしました。
アデレード市でFMのオーストラリア時代の伝記『Up from down under』の著者ロッスリン=マクロードさんに会いました。ロッスリンさんには「新しいお家が見つかってよかったわ」と言われ多くの資料をいただきました。FMは同市のタウンホールでリサイタルをしました。
(タウンホール)
タスマニア島(2017年11月15日~28日)
ロッスリンさんの紹介でタスマニア島のアレクサンダー家について研究しているデレク=スミスさんに会いました。タスマニア島北西部の町を回ってアレクサンダー家に関連する土地のツアーをしていただきました。デレクさんにはタスマニアに渡ったアレクサンダー家の家系図や墓石のデータをいただきました。
ホバートとランセストンでFMがリサイタルをしたホールやジョン=アレクサンダー(FMの父親)のお墓を訪ねました。
バーニーから南西に約50キロに行ったウォラタの町に行きました。スズ鉱山跡や発電所跡などを調べてきました。当時の鉱員には中国人も含まれていたようです。
(ウォラタの町)
都合4回テーブルケープにのぼりました。展望台にはFMが「the people who made Australia great」に選ばれたときのモニュメントがあります。
(フォッシルブラフから見たテーブルケープ)
終わりに
今回はFMを研究している人や史料が残っているところを中心に回りました。各地でレッスン体験やエクスチェンジをした結果、アレクサンダーテクニークは第一世代以降それぞれの広がり方をしているように思えました。
FMの著作に関して言えば、これまで日本では翻訳本のない時代があり、教師でもあまり読んでいませんでした。しかし今回の旅で話したところ、どこの土地でも現代ではFMの著作を読んでいる人は多くないということでした。その理由の一つに英語が古くて読みにくいことがあげられていましたが、日本では翻訳されたことでそれが読まない理由とならないでしょう。
FM関連の遺跡は戦後の影響や都市開発などで多くが存在していないか、個人所有の土地になっているため立ち入り禁止となっていました。また現存しているものも特別に管理されているわけではないため、いずれ消滅すると思います。
今回収集した資料や撮影した写真の中には、著作権や未発表作品、プライバシー保護のためインターネットなどで公開できないものもあります。F.M.アレクサンダーやアレクサンダーテクニークを研究されたい方にはワークの実体験も含めてご協力できます。
2018年3月にATJで発表しました。(YouTube)
ATJ岡山教室 池田智紀
今回の調査報告や体験したことはATJ岡山教室のホームページで順次更新しています。 https://conscious-control.jp/resource/(参考資料) https://conscious-control.jp/blog/(ブログ)
|